【横浜馬車道・歴史散策】150年を迎えた歴史の街で、文明開化の足跡を辿る“街ブラ”してみませんか?

明治以降の文明開化の象徴、横浜。そんな横浜の歴史を司る史跡、建造物、グルメを散策しながら楽しめるのが、150周年を迎えた【馬車道商店街】です。歴史的建造物が数多く残る通りには、数々の近代文化発祥の地としても知られる馬車道ならではの発祥記念碑なども多く残されており、またパブリックアートや老舗のグルメも楽しめます。
本稿では歴史的建造物や史跡を巡る散策プランをご紹介するとともに、関連記事では多彩な顔を持つ馬車道の楽しみ方を紐解いていきましょう!
周遊ルートのスタートは関内駅から
2004年にみなとみらい線馬車道駅ができるまで、長らく馬車道商店街の窓口を担ってきたのが関内駅。開港当時の関所があったエリアで、当時から交通の要所であったのが伺えます。というわけでこの関内駅から周遊をスタートさせてみましょう!
文明開化のシンボル「鉄の橋碑(吉田橋)」

開港当時、橋のたもとに関門が設けられていた吉田橋。明治開国とともに英国人土木技師R.H.プラントンによって日本最初のトラス鉄橋工法を用いて架け替えられました。当時は「鉄(かね)の橋」と呼ばれ、文明開化のシンボルとして親しまれていました。

現在の高欄は、当時の「鉄の橋」をイメージして復元されたもので、袂に設置された「鉄の橋碑」とともに「吉田橋関門跡」という史跡となって明治の香りを今に伝えてくれます。

緑多き街を目指した国内初の試み「近代街路樹発祥の地」

近代化するに伴って人口過密が予想される都市の景観的魅力を向上させるために発達したと言われる街路樹。そんな日本における街路樹の始まりこそが実はこの馬車道なのです。1867年(慶応3年)頃、馬車道では美しい景観づくりのために、各商店により柳と松が植えられたのが近代街路樹の先駆けとなったのだそうです。
この場所を始め、馬車道は近代化における様々な文化発祥の地でもあるんです。そんなマイルストーンの数々を巡ってみるのもいいですよね。
港湾労働者の胃袋を支えた「泉平のいなり寿司」

馬車道商店街入り口近くの交差点に居を構えるのが、いなり寿司を商いとする「泉平」。創業はなんと1839年! 天保10年ですから徳川家慶の時代ということになりますね。当時から長く愛されてきた泉平のいなりは細長いのが特徴。横浜開港当時、港で働く人足さんたちが、片手で食べやすいように、と細長くしたのだそうです。働く人の口に合うように、濃くて甘めな味付けにしたお揚げと、しつこくなりすぎないようにさっぱりとした酢のみで味付けされた酢飯との相性は抜群!

しっかりした味付けでいくらでも食べられそうな泉平のいなり寿司。街歩きのお供にいかがですか?
まぜパック一人前(写真)
¥950(税込)
いなり4個/かんぴょう巻き1本
明治から続く老舗の和菓子はいかが?「松むら」

こちらは明治から続く和菓子の老舗「松むら」。創業は明治30年。各派茶道関係者筋のお客様も多いとのこと。本格の茶道家をも唸らせる、季節を感じさせる上生菓子(写真上)を始め、お土産に最適な馬車道まんじゅう(写真下)、干菓子や羊羹、県指定の銘菓、芭蕉など、多彩なラインナップ。目移り必至です。

アイスクリームも馬車道発祥なのです

アイスクリームを初めて売り出したのもこの馬車道にあったお店、だって知ってました? 明治2年に町田房造さんという方が「あいすくりん」と名付けて売り出したのが始まりなのです。当時のお店のあった場所は諸説あり不明ですが、アイスクリーム誕生の地の記念として「太陽の母子像」が制作され、据えられています。
日本最初のガス灯が灯ったのも馬車道

南蛮渡来といえばガスも明治維新以降に導入されたインフラ。国内初のガス灯は明治5年に高島嘉右衛門のガス会社「日本ガス社中」により、ここ馬車道に灯されました。
柱部は英国グラスゴー市から輸入し、灯具は日本の職人により製作されたと言われています。こちらの記念碑及びガス灯は、関内ホール新築完成を祝って、当時の型をベースに復元したものになります。ちなみに壁面のレリーフは、横浜開港資料館所蔵の絵葉書を転写したもので、明治末期の馬車道が描かれていて、こちらも見どころです。
西洋医学と漢方の両方に通じる老舗薬局「平安堂薬局」
明治3年に紀伊国屋薬舗という屋号で開業した平安堂薬局は、まさに馬車道とともに時代を積み重ねてきた老舗。二代目榮助(新太郎)は日本で初めての薬剤師国家試験と言われている薬舗開業試験に合格した薬剤師のひとり。当時は伝統的な薬舗型でしたが、三代目の清水藤太郎が西洋型の薬局構造へと方向性を転換。合わせて漢方への尽力も知られています。現在では漢方と西洋医薬双方の知識を併せ持った、地域を支える「街」の薬局として地元で愛されています。
現在は2020年に向けて新店舗を馬車道通り沿いに建設中で、今は奥まった仮店舗ですが、ナゼかアイスが食べられるとかなんとか…。その話はまた次の機会に。
日本で最も古い洋装店「信濃屋」レンタルできる鹿鳴館ドレスも話題

なんと江戸時代末期、慶応2年(1866年)創業という日本最古と言われる洋品店がこちらの「信濃屋」。日本の生糸などを輸出するのが主だった横浜において、輸入洋品を扱うという逆転の発想で店を立ち上げたのが創業者吉澤長次郎でした。

その後、日本の洋装化の高まりとともに、日本洋装の礎として今も変わらず馬車道に軒を連ねている信濃屋。その信濃屋の原点とも言えるのが、いわゆる鹿鳴館時代のバッスルラインと言われるお尻が膨らんで見えるボリュームのあるドレス。現在の信濃屋では、当時のラインを基に復刻したドレスを始め、レトロな衣装をレンタルできるのだそうです。

1着1日¥40,000(+税)
衣装提供:信濃屋
※写真の衣装は記念作品のため、貸し出しは行っておりません。
また、明治初期から現在にかけての時代変換が垣間見える商品ラインナップを揃えているのも大きな特徴。例えば靴下にゴムが装備されていなかった時代に使われていた靴下用のガーター(英国製)や、トレンチコートの基になったという軍用コートの精密な復刻版の製作、限定販売など、時代を超えたアイテムが見つかるからこそ、長年愛されているんですね。


開港当時と現代の建築をハイブリッドさせた珍しい建築様式「日本興亜馬車道ビル」

1922年に建設された、ネオルネッサンス建築の建造物。当時は川崎銀行横浜支店として建てられたが、1989年に建物の一部が残される形で改築された。現代の建築様式と当時のネオルネッサンス様式が見事に混ざり合ったそのヴィジュアルと、歴史的価値により、横浜市歴史的建造物第一号として認定されている。
日本の写真界を切り開いた“開祖”を讃える碑「下岡蓮杖 顕彰碑」

絵師だったという経歴を持つ写真師、下岡蓮杖。日本に写真師、写真家という職業を確立したという功績から、日本写真界の開祖と呼ばれている。彼が馬車道で開業した写真館が大繁盛したことが、日本に写真というものが根付くきっかけの一つとなったのは間違いない。
数多くの弟子を育て、その技術反映にも尽力したその業績に敬意を表し、彼の写真館のあった近くにこの碑が建立されたとのこと。一風変わった砲弾型の碑の上に当時の写真機を模したオブジェが特徴的だ。
明治モダンな建築をそのままに歴史文化の発信地に「神奈川県立歴史博物館」

1904年に横浜正金銀行本店として建てられ、現在は神奈川県が運営する博物館として生まれ変わった県立歴史博物館。博物館開館時に国の重要文化財、史跡に指定された同建物は、関東大震災でドーム部分は消失したそうですが、1967年、博物館として開館されると同時に消失していたドームを復刻再建したものだそうです。

同時に建物自体も大幅に改修し、現在の正面玄関側はその時に増設されたもの。

建物自体も、明治当時のネオ・ルネッサンス様式そのままを残している点が見どころ。土台となるルスティカ積みや、様々な装飾物など、歴史を感じさせる造りが見事なのです。

4本の支柱が大迫力「東京藝術大学大学院(旧富士銀行)」

宮殿のような4本の支柱に印象的なルスティカ積みのこの建物は、元は安田銀行横浜支店として1929年に建設されたもの。その後、名称変更され、富士銀行横浜支店となり、現在の東京藝術大学の馬車道校舎となったのが2005年。2003年には横浜市認定歴史建造物に認定されている。
輸出のための生糸を検査していた建物が残る「横浜市合同庁舎(生糸検査所)」

建立されたのは関東大震災後の1926年。戦前における横浜の建築としては最大規模のコンクリート建築と言われたこの建物は、2代目の生糸検査所として建てられたもの。現在の建物は、実は第二合同庁舎建設の折に、一度解体した上で外観のみを復元させたレプリカ。とはいえ、1990年には横浜市認定歴史建造物に指定されている。
港と馬車道を繋ぐハマの入り口「万国橋」

明治から大正にかけて築造された新港埠頭に伴い架設されたのが初代万国橋。現在残されているのは二代目となる橋で1940年に架設。交通量の増加に伴い拡張や強度などを強化して設計されている。橋の両側にある石積みは、架け替え時にもあまり手が加えられていないため、初代万国橋の面影を残している。
半円形のバルコニーが特徴のローマ式建築が楽しめる「YCCヨコハマ創造都市センター」

現在は横浜市が推進する「創造都市」施策の中心としてクリエイティブ活動拠点、YCCヨコハマ創造都市センターとして使用されているこの建物は、元は1929年に第一銀行横浜支店として建造されたもの。間近で見ると威圧感のある柱が印象的な半円形のバルコニーが特徴である古代ローマの建築様式「トスカーナ式オーダー」と言われる建築様式が見どころです。
文明開化の象徴、横浜のなかでも歴史遺産がたくさん現存している馬車道。明治から大正、昭和、そして平成へという移り変わりを見つめてきた馬車道の歴史的コンテンツは、大変興味深いものだったのではないでしょうか?