『ブラタモリ』の足跡をたどる(那覇編/2016.3.5放映)
〜那覇は2つある!?〜

那覇の中心といえば、現在では国際通り周辺を指しますが、戦後間もない頃はまったく別の場所にあった…。知られざる那覇の歴史を紐解きながら「2つの那覇」の謎に迫る2016年3月5日放映「ブラタモリ」那覇編にて巡ったスポットをご紹介していきましょう。
国際通り

沖縄県那覇市の中心街を1.6キロメートルにわたって連なっているメインストリート。レストランや土産物屋などが立ち並んでいて、観光スポットとしても有名な場所。
このメインストリートの名前の由来は昭和23年に開館した「国際劇場」という映画館から来ている。昭和10年ごろは水はけの悪い土地で人がほとんど住んでいなかったそうだ。
波の上ビーチ

波の上うみそら公園の中にあるビーチ。沖縄国際トライアスロン大会のコースにもなっていて、シュノーケリングや体験ダイビングなどのマリンアクティビティを楽しむことができる。
公園内には国際映画祭などの様々なイベントを開催しているスポットやプールを完備したバーベキュー場などがある。ビーチの端にある岩「琉球石灰岩」は十万~数十年前のサンゴ礁が石となったもので、600年ほど前の那覇の島のへりの部分なのだそうだ。
波上宮

沖縄は明治の初めまで琉球王国という独立国で、都の首里に対して港町・那覇は中国・南方・朝鮮・大和など外国と交易する玄関口だった。その港の入口の位置にあるのが波上宮。境内からは港を一望することができる。
毎年5月中旬になると「なんみん祭」という行事が行われ、例大祭の前後に神幸祭、沖縄角力大会、琉球舞踊、演舞大会、のど自慢大会、ビーチ綱引きなど様々な催しが行われるそうだ。
本殿裏の御嶽(ウタキ)
600年ほど前に当時外国だった日本からやってきた人が建てたといわれている神社「波上宮」の裏にある「御嶽」。神社よりも古くからある御嶽は岩や木などの自然物を崇拝する祈りの場所のことを指している。
岩の上にあり、港を見渡すことができるこの場所は、船を見送り航海の安全を祈る大切な場所であったそうだ。
天尊廟・天妃宮
航海や漁業の神・天妃など、中国で信仰されている道教の神が祭られている。大交易時代の船出や進貢船などが出航前に航海の安全を祈る場所でもあったそうだ。
琉球王府の時代には「上の天妃宮」「下の天妃宮」の2つがあったが戦火で焼失したが昭和50年に復興され、今でも航海安全や交通安全、家庭平和などを願う人が多く訪れている。
那覇港港湾施設(那覇軍港)
沖縄県内に31か所ある米軍施設の一つで、アメリカ軍が使用する港。東京ドーム12個分の敷地がある。一般の立ち入りはできない。
御物城(オモノグスク)の跡
那覇港港湾施設の東の端にあり、現在は地続きだが琉球王国時代は小島だった場所で、御物城(オモノグスク)と呼ばれていた場所。中国の陶磁器をはじめとした各地の品物を日本や東アジアの国々に売ることで富を得ていた琉球の貿易品を管理する倉庫があり、15世紀頃の明の青磁の破片が大量に見つかっている。
また、島の上の方は眺めがよく、戦前の明治32年~昭和19年まで風月楼という料亭があった。
壺屋やちむん通り

琉球王国時代から300年以上の歴史を持つ焼き物の産地・壷屋地区。この地区にある「壺屋やちむん通り」は那覇空港から車で約20分、牧志公設市場から徒歩で約5分の場所に位置する。昔からの面影を残す石畳や石垣、スージグヮー(路地)などの他にやちむんやシーサーを販売するお店、骨董店などが連なっている。
焼き物などに深く触れ合える「壷屋巡りコース」というものがあり、やちむん探しと散歩ができる1時間コース、やちむん探究や食事などができる3時間コース、やちむん体験と市場散策ができる半日コースの3つのコースを楽しむことができる。
伝統的な沖縄の家屋
屋根にシーサーが乗り、石垣で周りが囲んである伝統的な沖縄の家屋。沖縄は台風が多いので屋根は赤い瓦を漆喰でとめるなど暴風から守る造になっているのが特徴。
シーサーはライオン(獅子)とされ、魔物を追い払う役割があり、屋根の上以外にも様々な場所に置かれ親しまれている。那覇は空襲が多かったが、壺屋地区は戦災をあまり受けておらず古い家が残されている。
平和通り商店街

那覇市が昭和23年(1948年)ごろに闇市を取り締まるため移転させてできた公設市場。今では有名な観光スポットとなっているこの市場の周辺は次第に店ができて商店街となったそうだ。
昭和26年に一般公募によって「平和通り商店街」と改称した平和通りもその1つとされていて、壺屋から国際通りに向かって伸びているこの通りは土産屋や衣料店などが多く建ち並んでいるアーケード街となっている。戦後につくられた街や通りには「平和」という言葉が付くそうだ。
水上店舗を確認する
むつみ橋商店街の下には川が流れており、川の上にある建物は「水上店舗」と呼ばれている。水上店舗ができる前はガーブ川と呼ばれる川が流れており、その土手にバラックが建っていた。
戦後、那覇にやってきた土地のない人達が川の土手に小屋を建て商売を始めたそうだ。水上店舗ができたきっかけは、ガーブ川が頻繁に引き起こした洪水だった。実はガーブ側の片側の岸が低くなっていて水風が増えるとすぐに溢れてしまったそうだ。そこで昭和39年水害を防ぎ、商いの場所を確保するために川を覆いその上に建物を作った。
商店街の道が不自然な段差になっているのは、高い方の岸に合わせて川を覆ったことからできたそうだ。
暗渠になる前から続く傘店
ガーブ川中央商店街にある傘店。バラックの時代から同じ場所で商いを営んでいるそうだ。当時は、川のそばに杭を打ってテント小屋を建て、屋根にもテントを張り雨漏りをしのいでいたそうだ。
ガーブ川
沖縄県那覇市を流れている川。1950年代のこの川の土手にはバラックが建っていた。戦後、那覇にやってきた土地のない人達が川の土手に小屋を建て商売をはじめたそうだ。この川は片側の岸が低くなっていたため水かさが増えるとすぐに溢れてしまい頻繁に洪水を引き起こしていた。
その後、昭和34年に水害を防ぎ商いの場所を確保するために覆われた。現在のガーブ川は改修されて深くなっている。
情報提供:株式会社エム・データ
写真提供:那覇市